学校では教えてくれない学校の話

学校では教えてくれない学校の話を紹介します。

ウナギの頭で分数を教える話? コピペはだめよ!

 今日は、私が教員になったばかりの頃の話です。(昭和の話です。)こんな話を指導者の先生時から聞きました。

 算数の研究授業で、分数の授業でした。授業者は、ウナギの頭を用意して、半分にして、分数を指導していたそうです。とても切りずらそうにして授業を進めていたそうです。

 授業後、指導者の先生が、「ウナギの頭を準備するの大変でしたね。」とねぎらったところ、授業者は、「そうなんです。ウナギやさんを2軒、回って集めました。」とのことでした。

 指導者の先生は、「ところで、なぜウナギの頭を用意したんですか?」と聞いたところ、授業者は、得意げに「参考書にそう書いてあったんです。」との答え、参考書を見せてもらったところ本当にそう書いてあったとのことでした。

 指導者の先生は、「でもウナギの頭を切るのは大変ですよね。変だと思わなかったのですか。」と再度聞くと、授業者は、「でも、参考書に書いてあったので。」との答え。よくよく調べてみると、

 

鰻の頭→饅頭(まんじゅう)

 

 

と書かれていたのは、「饅頭の誤植」だったとのことです。「食編と魚編」の違いだったようです。

 実際にそんなことは、あり得ないことだとは思いますが、指導者の先生が、「何が言いたかったのか。何がいけなかったのか。」というと、「参考書や指導書をコピーして何も考えずに授業をしていいものだろうか。指導書を鵜呑みにしないで自分のクラスの実態に合わせて授業を組み立てなさい。」との指導だったようです。コピーしたものを自分のものにしてはじめて自分の文章になります。

 今の時代手書きではなく、簡単にコピーできます。人の論文を自分のように盗用すると犯罪になりますね。

 40年経った今でも話の内容を覚えていると言うことは、「とてもインパクトのある楽しいお話」だったようです。

 
どんな文書にも著作権があります。
 著作権法は、著作権の内容を、大きく次の二つに分けて定めています。
 一つは、著作物を通して表現されている著作者の人格をまもるための著作者人格権です。
 もう一つは、著作権者が著作物の利用を許可してその使用料を受け取ることができる権利としての著作権(財産権)」です。

 ※コピー&ペーストとは、パソコンの文書上で指定した部分を、別の場所にも複写する操作手法のことである。(略してコピペ)
 簡単な文章でも作文でも自分の言葉で書くことが大切ですね。
 今日も「学校では教えてくれない学校の話」ブログに訪問ありがとうございました。

子育てに役立つ! ものごとを多面的に見る! 6人の言うゾウの話!

 子供たちの一つの出来事を見て、その子の人格や性格を決めつけていることは、ないでしょうか?また、自分の意見が正しいと思い、人に押しつけていることはないでしょうか?
 
 この話を聞いて、何か一つでも感じていただけると幸いです。
 
 昔、ある所に、「6人の目の不自由な人たち」が、生まれて初めてゾウに触れました。
①足に触った目の不自由な人は、
「ゾウとは木のようなものだ。」と言いました。

②しっぽに触った目の不自由な人は、
「違う。ゾウとはロープのようなものだ。」と言いました。

③鼻に触った目の不自由な人は、
「何を言うか。ゾウとはヘビのようなものだ。」と言いました。

④わき腹に触った目の不自由な人は、
「いやいや、ゾウとは壁のようなものさ。」と言いました。

⑤耳に触った目の不自由な人は、
「バカだね。ゾウとは木の葉のようなものだ。」と言いました。

⑥牙に触った目の不自由な人は、
「ゾウとは、ヤリのようなものだ。」と言いました。

 6人の目の不自由な人たちは、自分の意見が正しいのだと言い争いをしまし
た。しかし、だれもが意見を変えようとしませんでした。
 
 問題なのは、目の不自由な人たちは、「ゾウの全部を触っていない」ことです。そのことが原因で一人一人の意見が食い違い、言い争いが起きています。「ゾウの全体を知らないで、一部分のみを触ってそれが全てだ」と思い込んでしまったのです。ここで大切なことは、『自分の意見だけでなく様々な意見を参考にして真実を考えて行く姿勢を持つ』ことです。
 
 一つの方向からでしか物事を見れなくなくなってしまうと物事の本質はつかめない。見る角度によって物事の見方が変わるということを知っていればこのようなことにはならなくてすみますね。

 私たちは、ものごとの一面しか見ずにあたかも全て知っているようなつもりになっているようなことはないでしょうか。また、自分の意見を押し通してしまうことはないでしょうか。「全体の意見を良く聞き、様々な考え方を知り、自分の意見を言うことが大切になります。」今、教育界で求められている「主体的・対話的で深い学び」につながるのではないでしょうか。

 同じように「木を見て森を見ず」という言葉があります。「細かい部分にこだわり過ぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」です。一部や細かいことにとらわれ過ぎて全体に注意を向けず、物事をおろそかにしている状況を表します。

 「大人として、親として、子供たち一人一人を多面的に良く見つめ、個性を見つけてやるとともに、人としてのよさを探してやることも大切な仕事になります。」 
 
 今日も訪問いただきありがとうございました。

北風と太陽 もう一つの話 北風も勝ったよ!

 今回は、だれもが知っている「北風と太陽の話」ですが、本当は、北風が太陽に勝つ話もあったのです。知っていましたか?子供たちもなるほどと納得していました。

最初の話は、いつもの話です。
北風と太陽が言い争いをしていました。
北風は、「僕はなんだって吹き飛ばせるんだ! 一番強いのは僕だ!」
太陽は、「確かに君には力がある。でも一番強いのは僕だよ。」と、どちらも引きません。
 そこで、力自慢をすることとなったのです。「じゃあ、あそこに歩いている旅人の服を脱がせたほうが勝ちってことにしよう。」
 まずは北風から始めました。「あの旅人の服を吹き飛ばしてみせるよ。」と言いながら、「ビュー!」と、冷たい風を旅人に勢いよく吹き付けました。
 そしたら旅人は、「なんて寒いんだ。」と言いながら、更に一枚、服を取り出して、今の服の上に重ねて着込んだのです。それでも北風は負けまいと、「ビュー!」と、冷たい風を旅人に吹き続けました。
 しかし、旅人は、飛ばされないように、服をしっかり押さえ、体を前かがみにして歩き続けたのです。北風は、とうとう諦めました。

「こんどは僕の番だ。」太陽はそう言うと、まず、ポカポカと暖かく、そしてやさしく照らしました。
 旅人は、「ポカポカといい陽気になってきたぞ。」と、重ね着していた服を1枚脱ぎました。
 そして、太陽は、更にやさしい日差しを当て続けたのです。歩いていることもあり、旅人は汗ばんできて、ちょうど川沿いがあったので、一休みすることにしました。太陽はその時、ここぞとばかり、ジリジリと強い日差しで旅人を照りつけ始めました。旅人は、「こりゃたまらん!」と言って、服を全部脱ぎ捨て、目の前の川に飛び込んだのです。
教訓として、『人に行動してもらうためには、北風のように、無理矢理に手っ取り早く、強引に押し付けてもダメ』です。
 太陽のように、着実に、「相手の気持ちを考えれば、無理することもなく、自分自身で動いてくれる」のです。
 北風のように、「強引に人を動かそうとすると、相手は余計に動かなくなります。」(よくある話ですね。)

 太陽のように、相手の気持ちを考えて、ポカポカと暖かく、そしてやさしく照らし続けることで、自分自身から心を開き、自分自身の意思で動き始めるのです。


もうひとつの「北風と太陽」
 次の話は、前回の勝負で負けた北風は、とてもくやしがり太陽に次の勝負を仕掛けました。今度は、「旅人の帽子をとる。」ことでした。最初、「太陽は今度も負けまいぞと思い前回よりも強く燦燦と旅人を照り付けますが、旅人はあまりの日差しで帽子をしっかりかぶり、決して脱ぎませんでした。」
 
 次に「北風が力いっぱい吹くと、みごと簡単に帽子は吹き飛んでしまいました。」
この二つのお話から『物事は何事にも適切な手段』が必要であるということ。
一方でうまくいったからといって他方でもうまくいくとは限らない。その逆もあるということです。その状況や相手等を見据えて 最適な手段を選ぶべきである。
上着を脱がせる」時には太陽のやり方が、「帽子を脱がせる」時には北風のやり方が適切だったということ。北風が勝つエピソードがあることで、太陽の「着実さ」だけが正解ではないと知ることができ、「柔軟な対応をすること」こそが大切だと教えてくれています。
 本日も「学校ではおそえてくれない学校の話」に訪問ありがとうございました。

日本最初の宇宙人は、かぐや姫? 綺麗だけれど意地悪?


 今日は、「かぐや姫」の話です。子供たちにかぐや姫の話は知ってると聞くと「知ってるよ。」とほとんどの子が答えてくれます。では、かぐや姫は日本最初の宇宙人なんだよ。知っている。」と聞くと「エッ。」と驚きます。しかし、しばらくすると誰かが「月に帰るんだから、月の人だな。」「地球人じゃないから宇宙人だ。」と言い出します。では、宇宙人だという証拠を検証してみます。

検証 
 現存する最古の物語は、竹取物語です。ということは、「生まれ故郷の月に帰ったのはかぐや姫」→「日本最初の宇宙人は、かぐや姫ということになります。今の話題の家具やの社長の娘、「家具や姫」ではありません。

※「竹取物語」は、平安時代初期に成立した日本の物語で「成立年・作者ともに未詳です」。

宇宙人の証拠1 竹の中に座っていた! 
 竹取の翁が光る竹の中から座っている子供を発見。
 地球上の生き物は、「植物は、めしべ・めばなが成長」「動物は、メス・母親などから生まれる。」竹の中から出てくることはあり得ない。
 その後、竹取の翁が竹を切ると中に黄金が入っていてだんだん裕福になる。

宇宙人の証拠2 三か月で成長! 
 育てていくうちに3か月で12歳・13歳くらいの大きさになった。地球上の人間ではありえない成長の速さである。「この世のものとは思えない美しさである。地球の人間でない証拠。」
 竹取の翁は、何度も黄金が入った竹を見つけ大金持ちになる。

宇宙人の証拠3 みんなから好かれていた! 5人の男から求婚された!
 多くの男たちが身分に関わらず、かぐや姫を妻にしたいと望んでいた。かぐや姫を一目見ようと屋敷の周りをうろうろするようになる。(今でいうストーカー行為)
①石作(いしつくり)の皇子
②車持(くらもち)の皇子
③右大臣阿部御主人(あべのみうし)の皇子
④大納言大伴御幸(おおともみゆき)の皇子
中納言石上麻呂足(いそのかみのまろたり)の皇子
特に5人には、強く求婚された。

宇宙人の証拠4 5つの無理難題!「心や思いやりがない」
 結婚をして子孫を残そうと考えていない「かぐや姫」は、5人に無理難題を与える。
 その結果、5人とも恥ずかしい思いをしたり、大けがをしたり、山奥に引き困ったりと散々な目に遭うことになる。地球の人間には、「心」があり、「思いやり」がある。これだけのことをしてもらえれば心が動くものである。かぐや姫」は、「心がない。」に等しい。月に帰りたい気持ちのほうが強い。
①仏の御石の鉢
②蓬莱(ほうらい)の玉の枝
③火鼠の皮衣
④龍の顎の玉
⑤燕の子安貝(こやすがい) などを持って来てね。
 
宇宙人の証拠5 月からの使者!
 翁や二千もの武装した兵たちはかぐや姫を連れて行かれまいと戦ったが、力が入らず戦意も失ってしまった。(魔法の力か?)その結果、かぐや姫は月に帰ってしまった。

検証結果 やはり、かぐや姫は日本最初の宇宙人である。

何のために地球に来たのか?
 地球侵略か?「この時代の貴族社会への風刺ではないか?」有名な貴公子たちに無理難題を与えたり、貧しいものに黄金を施したりと「弱きを助け強きをくじく」ためのヒーロー役だったのではないでしょうか?だから、水戸黄門」や「桃太郎侍が人気があるのと同様に「竹取物語」が平安の昔から語り継がれてきているのですね。

 今回も「学校では教えてくれない学校の話」に訪問していただきありがとうございました。

家庭でも話せる話!  3つのコップの教訓!  姿勢の悪い子へ!

    授業中姿勢の悪い子に注意するときに、「何で姿勢が悪いと駄目なのか。」「おしゃべりをしていると駄目なのか。」をわかりやすく説明してやると納得します。こんな話はどうでしょう。
子どもたちの前に3つのコップを用意します。

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3つのコップの教訓

3つのコップの教訓 
①1つ目のコップは、普通に平らなテーブルの上に置いたコップです。

②2つ目のコップは、ななめにおいたコップです。

③3つ目のコップは、ふたをしたコップです。

①だと思う人。②だと思う人。 ③だと思う人。

そうですね。①ですね。

①の机にまっすぐに置いたコップには、たくさんの水が入ります。

②の斜めに置いたコップには、半分くらいの水が入ります。

③のふたをしたコップには、水が入りません。

 これを「姿勢」だと考えて下さい。そして、「水を学習した中味」だと考えた場合


①のコップのように先生の方をまっすぐ向いている人は、「学習したことがたくさん頭に入り、勉強が出来るようになります。」


②のコップのように横を向いている人は、「学習したことが半分しか頭に入りません。」

 

③のコップのようにフタをしてしまっている人は、「学習したことが頭に入りません。」
 
 授業中おしゃべりをしていたり、違うことを考えていると勉強がわからなくなってしまいます。正しい姿勢でお話を聞きましょう。

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耳プラス目を皿のようにして心で感じる!心は一つ。

耳プラス目を皿のようにして心で感じる!
「聞く」「聴く」の違い!
 「聞く」ただ単に「きく」場合は一般に「聞く」を使います。音声を自分の耳に確かに受け入れることです。
 「聴く」注意深く(身を入れて)、あるいは進んで耳を傾ける場合に使います。
 「音楽を聴く」「講義を聴く」などです。「聴く」という漢字は、「耳で聞いて。プラス目を皿のようにして見て、心で感じる。」ことです。「心は一つ。」子供たちみんなの「心を一つ」にして演奏したり、聴いたりします。自分からきく。静かにきく。詳しく熱心にきくことです。


「他のきく」
 「訊く」上より下に問う。罪をただす。責める。
 「尋く」尋問する。質問する。自分の聞きたいことを質問する。

なかだるみ
 緊張していた糸がゆるむことを「なかだるみ」といいます。「なかだるみ」は勢いがなくなることを意味します。何かをしている間に最初の勢いがなくなって、途中で心が折れたり、適当になったりすることです。
 学校生活に慣れ、「緊張していた糸がゆるんで姿勢が悪くなったり、忘れ物が多くなったり、おしゃべりが多くなる時期を言います。」このような時に上の「3つのコップ」などの話をしてあげると効果的です。
 10連休が終わり、落ち着いてじっくり話が聞けるといいですね。今日も「学校では教えてくれない学校の話」を訪問していただきありがとうございました。

もうすぐ梅雨ですね! 学校で大切な4つの🐸カエル!

 

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授業で大切な3つの🐸 かんがえる🐸



 もうすぐ6月ですね。6月は、梅雨(つゆ)の時季です。毎日のように雨がふります。「梅雨」とは、6月~7月中旬、中国の長江下流域から朝鮮半島、日本列島(北海道を除く)に見られる雨期のことで、それほど雨足の強くない雨が、長期に亘って続くのが特徴です。

なぜつゆと言うのでしょう?
 現在、中国では「梅雨(メイユー)」、韓国では「長霖(チャンマ)」と呼びます。「梅雨」は東アジア特有の雨期であり「梅」も東アジアにしか生息しない植物です。梅の実が熟すころにふる雨を(梅雨)つゆといいます。今回は、梅雨の頃に出てくる生き物の話をします。

3つのカエルの進化判!4つのカエル🐸
 学校で大切な「3つのカエル」が進化して「4つのカエル」となりましした。
    
 1つ目のカエル「かんがえる」は、授業に集中して考える力を伸ばします。
授業は、考えるところです。このカエルは、考えれば考えるほど大きくなって、とても賢くなっていくカエルだそうです。よく考えましょう。

 2つ目のカエル「きりかえる」は、失敗したことをいつまでもくよくよしないで、前を見ることです。何事にも切りかえることが大切ですね。このカエルは、うまくいかなかったときや気持ちを変えるときに、後ろを見るより前を見ていこうと教えてくれます。

 3つ目のカエル「ふりかえる」は、何度注意されても同じことを繰り返すのは、振り返る力がありません。自分の経験したことについてなぜ失敗したのだろうか、あるいはなぜうまくできたのだろうかと振り返り、次に生かしていくために出てくるカエルです。
 
 3つのカエルに共通したことは、先生や友達が与えてくれるのではなく、自分自身の力で育てていくものです。
「かんがえる」と自分に自信が持てます。
「きりかえる」と新しいアイデアが浮かびます。
そして「ふりかえる」と自分の成長がわかります。

 自分の心の引き出しの中にこの3つのカエルを持って、仲良くしながら3つのカエルを大きく育てることが大切です。以上が授業で大切な「🐸かえる」です。

学校で一番大切な🐸カエル!「無事カエル!」


 そして最後に、4つ目のカエルは、1番大切な、「ぶじ🐸カエル」です。安全に気を付けて無事かえることです。人の命は一つしかありません。交通事故似合わないように大切に育ててほしいものです。

 4つのかえるをしっかり育てて「人として賢い子」になってください。この梅雨の季節にカエルの鳴き声を聞きながら、自分の心のカエルをちゃんと育ててくれることを楽しみにしています。
 学校のためになる話はいかがでしたか?ためになる話は、そのままいろいろなところで話せる内容です。次の話を楽しみにしていてください。

家庭でも話せる話!道徳の教科化にむけて!「天国と地獄」の話! 

『天国と地獄』アン・ランダースの本より
 令和2年度から道徳が今までの領域から「特別な教科道徳」として教科になり、評価も求められるようになります。それは、深刻ないじめや自殺(大津市のいじめ自殺、平成23年10月・川崎の事件、平成27年2月)などの痛ましい問題が多発し、本質的な解決に向けて、今まで以上に「心の教育」の充実が求められてたからです。

 今回ご紹介するこの話を子供たちにすると次の日から相手に対してやさしい気持ちで接することが多くなります。不思議ですね。

 昔あるところにひとりの男が、天国と地獄について神さまと話をしています。神さまが言いました。「こちらについて来るがよい。地獄を見せよう。」

 ふたりが最初に入った部屋には、人間たちが煮物の入った大きな鍋を囲んで座っていました。全員がひどくお腹をすかせ、生きる望みもすっかりなくしたように見えます。みな、箸が腕より長くて口に届きません。その苦しみようといったら、それはひどいものでした。まさしく地獄の様子でした。

 また、神様が言いました。「さあ、今度は天国を見せよう。」ふたりが入っていったのは、先ほどとまったく同じような部屋でした。 煮物の入った大きな鍋、そして長い箸があり、人間がいました。ところがこの部屋の人たちは全員がお腹も十分に満たされ、その顔は幸せに輝いていたのです。

 「どうしてなのでしょう?私にはわかりません。」と、その男は言いました。「なぜここにいる人たちはこんなに幸せで、さっきの人たちはあんなにみじめなのでしょう。条件はまったく同じだというにの・・・」

 神さまはほほ笑むと、「それはとても簡単なことだ。」と言いました。

「ここにいる者たちは、おたがいに食べさせ合うことを学んだのだ。ただ、それだけの違いなのだよ。」と言いました。

 こうして地獄にいる人々は「自分のことばかり考えている。」ために、いつまでもけんかをして何も食べられず、天国の人々は「おたがいを思いやっているので仲良くくらせるのだ。」と神様が教えてくれました。
 やはり相手に対する『思いやり』がいつの世の中でも大切なのですね。
 
 どうでしたか?短い簡単なお話ですが違いがはっきりしていてわかりやすいですね。小さなお子様でもわかる話です。
 このようなお話を通して少しでも「心が育てられる」と良いですね。先生・おうちの方お子さんに話した様子を聞かせてください。
 今日も、「学校では、教えてくれない学校の話」に訪問ありがとうございました。